Jリーグ30周年記念特別コラム(後編)

大学の同級生であり、ヴェルディの黄金期を支えた闘将、柱谷哲二さん。当時はキャプテンでした。

本日5月15日は「Jリーグの日」、30年前、日本で初めてのプロサッカーリーグが開幕した日です。

先週末は、J30というイベントの元、全国各地でJリーグチームの熱戦が繰り広げられました。

特に、都市や都道府県のホームタウンを同じくするチーム同士の対戦、「ダービー」の試合が数多く行われました。
信州ダービーも別のコラムでお伝えした通り、大変盛り上がりました。

さて、時は25年前にさかのぼります。
1997年の宮崎キャンプの中編の続きです。
ヴェルディ、ジャイアンツの監督同士がそれぞれの試合で、始球式を行おうというのはすでにお伝えしましたね。

第一ラウンドは、ヴェルディの加藤久監督が、ジャイアンツの長嶋監督に対して、始球式でボールを投げました。
すると、ミスターこと長嶋監督は、きれいにレフト前にクリーンヒット。始球式のボールを打った人を初めて見ました。

第二ラウンドは、いよいよミスターがヴェルディのキャンプ地にやって来る番です。と言っても、野球場と競技場は隣り合わせなので、徒歩でミスターは野球、サッカーの番記者を引き連れて、総勢30名くらいで、やって来ました。

事前に段取りをお話し、ピッチ中央より、センターサークル手前にボールを蹴って頂くことになりました。
そこでハプニングが起こりました。1997年より、ヴェルディのユニフォームは、M社からN社に変わったばかりでした。

ミスターに何とか、ヴェルディのキャップとN社のジャンパーを着てもらえないかと、スポンサーサイドよりお願いがあったのです。

ミスターにお願いするのは、そうです、広報の私です(笑)

事前にミスターの個人マネジャーの方に聞いてみたところ、即NGでした。それは、当時、ミスターの契約スポンサーはN社のライバル、A社だったからです。

直接直談判しかない、ミスターに恐る恐る聞いてみたところ、あの特徴のある甲高い声で「いいでしょう」ということになりました。

しかしながら、事前にお断りされていたので、何も準備していません。急遽、私の着ていたジャンパーとキャップをお貸ししました。さすが、ミスタープロ野球、エンターテイナーです。

つつがなく始球式を終え、番記者を引き連れ、野球場へ意気揚揚と戻って行きました。

こちらはビッグイベントの疲れと安堵感からホッとしていましたが、何か違和感を感じました。そうです、ミスターは私のジャンパーとキャップをつけたまま、戻ってしまったのです。過去に、息子の一茂さんを球場において帰宅したという話は聞いたことはありますが、まさに、ビッグスターです、器が違います(大笑)

今から思えば、ミスターのジャンパーをお預かりしていれば、家宝になったかもしれない、
大変残念でした。

個人的に、ベスト・オブスタジアム、ガンバ大阪のパソニックスタジアム。
J30年でスタジアムも進化も変化もしてきました。LEDライトを駆使して一瞬でライトの点灯オンオフスイッチが可能です。

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