鳴呼花の大学サッカー部「日本サッカー殿堂掲額記念祝賀会編」
270名のOBが参加
「12月17日は特別な日」
先日、大学時代のサッカー部の監督で
恩師の大澤英雄先生の祝賀会に参加してきました。
参加したのは20代から80代までの大学サッカー部OBのみ270名、
物凄い数字です。
会場は、熱気に包まれていました。
同期からは4名の参加。
主将のH君、静岡の名門高校出身のO君、
埼玉の小学校で校長先生をしているI君、私です。
受付を済ませ、名札シールを渡され、
「28期 福田裕一」が会場に入りました。
小心者なので、I君と一緒です笑
立食のパーティ形式で、丸テーブルの立て札を見ると、
25〜28期とありました。
「えっ、ひょっとして、まわりは全員先輩!?」
その通りでした。
乾杯からの1時間あまり、お酒を注ぎ、料理を運び、
先輩方の話の耳を傾け(病気や自慢話ではありません笑)
久しぶりに1年生をやりました。
ある先輩から、
「60歳になってもこの差は縮まらないからね」という、
ありがたいお言葉を受けていると、
冒頭文の恩師の話が入ってきました。
昭和30年12月17日、
恩師は、母校大学の体育学部の一期生として、
入学を決め、サッカー部に入部したそうです。
事前に聞いていた話と違い、サッカー部に先輩はおらず、
同期は一人だけ、じゃんけんで主将とマネージャーを決めることとなり、
恩師がじゃんけんに勝ち、主将となったそうです。
それから月日は70年近く経ち、
今では名門大学サッカー部となり、
数々の名選手、指導者を輩出するまでとなりました。
恩師はその間、大学の理事長までになられました。
恩師の尽力はもちろんのこと、
先輩、後輩のみなさんが一枚岩となって、
母校に良い選手を紹介しようとした努力の賜物ではないでしょうか。
私は、恩師を尊敬しています。
大学卒業後、サッカー関係の仕事に就いた時、
様々なアドバイスを頂き、いつも応援してもらいました。
サッカーの仕事から離れる時も、
「いつでも相談に来なさい」
と心温まる言葉も頂戴しました。
この大学サッカー部、恩師に出会えて、
心より感謝しています。
最後に祝賀会で、
恩師「福田君、いくつになったんだね」
私「来年60歳になります」
恩師「私は来年88歳になるが、時間があれば、グラウンドに行っているよ」
私「・・・」
いつまでもお元気でいてください。
たくさんのパワーをありがとうございました!
凄い!いつも柱谷さんと仲良しな福田さんが羨ましい。
ヴェルディはみんな見てましたからねー。
過疎化は分かります。僕が生まれも育ちも現在も住んでいる江南市も少し人口減しています。遊休農地を借りて今年から少し畑デビューしました。
長野県は僕も少し期待している素敵な場所なので福田さんのサポートで尽力出来る事は光栄です。